〜六文銭の旗印の下で…の巻〜
真田幸村(信繁)
このシリーズも最終回となりました。
今回は真田幸村こと真田信繁を取り上げていこうと思います。
幸村の本名は信繁ですが、本稿では通りの良い幸村を使用させていただきますね。
さて、真田幸村の誕生日は和暦では、
永禄10年1月28日
または
元亀元年2月2日
西暦(ユリウス暦)では
1567年3月8日
または
1570年3月8日
の生まれという2つの説があります、
現在使用されているグレゴリオ暦に直すと
1567年3月17日
または
1570年3月17日
生まれということになります。
先ず最初は、この連載の初回、織田信長を取り上げたときと同じように、2つの日付でホロスコープを作成してみました。
後世に残された人物評価をもとに
幸村の兄・信之(信幸)の言葉によると、幸村は柔和で辛抱強く、物静かで怒る様なことは無かったようです。勇猛な武将とは正反対の穏やかな人柄だったようですね。
また負けると分かっていて義を貫いて戦場に散ったことを考慮すれば、魚座の太陽と土星の衝を海王星が調停している、1570年生まれ説の方が信憑性が高いのかなあ…という気がします。
ちなみに幸村は魚座第3旬の生まれで、魚座にさそり座の性質の影響が加わります。
物事を直感的に把握しますが、それを言葉にして説明するのは苦手な方かもしれません。結果的に大人しいとか秘密主義を陥り、周囲からは掴み所のない人という評価を受けることもあるでしょう。
蛇足ですが、真田家の家紋となっている六文銭ですが、一説によると
六文銭(もしくは「六連銭」)は、冥銭を表しているといわれているのだとか。
冥銭と言うのは本来古代中国の習俗で、日本ではとくに亡くなった人を葬る時に棺に入れる六文の銭を意味し、この六文銭は三途の川の渡し賃になるのだそうです。これを旗印にすることは「不惜身命」(仏法の為に身命を捧げ惜しまないこと)を意味するといわれているそうで、この辺り、魚座第3旬の太陽の意味合いが生きてる感じがしますね。
さそり座の守護星・冥王星は冥界の王ハデスで死と再生を司り、さそり座・冥王星・さそり座の定位置である第8ハウスの3つの要素全てにこのキーワードは適用されます。
魚座も目に見えないものや世界を表示する星座ですから、隠密や忍びにも縁が深い太陽の位置と言えるかもしれません。
(武田 + 上杉)÷ 2=真田 …?
真田家と言うと武田家臣のイメージが強いかもしれませんが、実際には武田家滅亡後に織田家や北条家や上杉家など仕える先を転々とし、最終的には、早くから豊臣政権に臣従の意を示していた上杉家を介して、豊臣家の家臣になっています。
ただし一度上杉を離反している父・昌幸は信用を得られず、幸村は19歳の歳に上杉の居城である春日山城に人質として送られています。
私が本ブログでこの連載を始めるきっかけになった乙ゲの「イケメン戦国」では、タイムスリップしてしまった主人公が本能寺の変で織田信長の命を、主人公と一緒にいた佐助くんはその4年前の戦場に飛ばされてしまい上杉謙信の命を助け、主人公と再会した時には上杉謙信の臣下となっており、やはり病死した筈なのに何故か生きている信玄と家臣の幸村が春日山城に身を寄せ、上杉と武田が同盟を結んで織田攻めを画策している…というところから物語が始まるわけですが、この辺り、信玄が遺言で自分が亡き後は上杉謙信を頼るよう残していることや、幸村が武田滅亡後に父・昌幸が上杉に臣従を決めた際に春日山城に人質として送られていた史実が、物語の設定にも反映されているのかもしれませんね。
話が少し横に逸れてしまいましたが、謙信や信玄の記事でも書いたように、この謙信と信玄のやり方は全く違います。
なるべく武力行使を避け効率的に戦う為に諜報活動と外交を重視して、必要とあれば狡猾な手段も取ったと言う信玄と、あくまでも義を重んじる戦しかしなかったという謙信。
大阪冬の陣で、豊臣方は負けると分かっていて大阪城に駆け付けたと言われている幸村ですが、この辺りも義を重んじる上杉謙信の影響があったのでしょうか。
なお、西洋占星術研究家の故・石川源晃氏はその著述(「【演習】占星学入門」p28)の中で、幸村は天文にも詳しく、その時点の木星の位置で徳川が勝つことを予測していたにも関わらず、負けると分かっていて豊臣方に付いたと記していますが、引用元や情報ソースをその都度掲げている源晃氏が、この件に関しては巻末に提示していません。
という事は、あくまでも信頼できる資料の裏付けが無い、伝承の域を出ない話…という事なのでしょう。
意外と薄幸な人生…?
幸村が名声を轟かせたのは、この義を貫いて自らの命を散らせた戦であり、それまでは、徳川四天王のひとり本田忠勝の娘を正室に迎えたが故に、徳川方に残った兄の信之の方が武将としては名を馳せており、弟である幸村は武将としては全くの無名だったそうです。
調べてみると、幸村は凄い苦労人なのですよね。
大阪冬の陣に召集される前までは、関ヶ原の合戦で豊臣方が負けてしまった為、豊臣家に臣従していた真田昌幸・幸村親子は窮地に立たされ、兄の信之の助命嘆願もあり、高野山の麓にある九度山に流罪・蟄居の身となっています。
九度山では兄の信之(母・山手殿)からの仕送りなどを受けながらも生活は苦しく、借金を抱え、真田紐などを作って九度山に同行していた16人の家臣が行商をするなどしていたようですが、殆ど資料がなく、当時の幸村の様子についてはよく分かっていないのだそうです。
また真田紐についても昌幸・幸村親子の考案とする者や、九度山に同行した幸村の正室・竹林院の考案によるものなど諸説あるようです。
10年以上もそのような生活が続き、召集に応じて大阪城に馳せ参じた時には、やつれて歯も抜けており、その風貌から山賊か何かと間違われて不信がられたほどだったそうです。
武将としてのブランクがあることや、兄・信之が徳川方に付いていたことから徳川の間者であることを疑われるなど、あまり信用を得られなかった中、徳川家康を追い詰めながらも、自らの命を散らせたことで、逆に、徳川家康や徳川幕府から、負けると分かっていながら主君への忠義を尽くした行いと共に「日ノ本一の兵(ひのもと いちの つわもの)」と賞賛を受けるようになります。
なお1567年生まれなら、政略結婚が功を奏し、クーデター的なやり方で立身出世を成し遂げていてもおかしくない惑星配置なので、占星学上は史実と突き合わせた結果を考えると、やはり1570年生まれ説を支持…ということになるでしょうか。
1570年の3月生まれとするなら、幸村の金星はドラゴンテイルに重なっており、海王星ともスクエア。
木星とは弱い吉座相を形成しているので、一国一城の主としては平均的と思われる人数の室や愛妾も抱えてはいますが、基本的には金銭や女性に恵まれる配置ではありません。
金星に海王星が関わると、男性の場合は女性を美化し易く、現代ならホステスやキャバ嬢など水商売の女性や、ゲームなどバーチャル世界の女性にハマってしまい、現実の女性に目が行かなくなるか、接することが困難になる傾向があります。(ただし火星など現実社会での行動力を示す星がここに関わってくると、また別の意味あいが出てきます。)
戦国時代だと、どんな感じに影響が現れていたのでしょうね?
ちなみに九度山に幽閉される以前は幸村には女児しか居らず、嫡男は幽閉地の九度山で生まれているとのこと。
また側室のひとり(関白・豊臣秀次の娘)は、九度山時代に輿入れしているとのこと。
この女性、本来なら秀次切腹の際に斬首されていてもおかしく無い人物ですが、なぜそれを逃れられたのかや側室になった経緯は、分かっていないそうです。
金星と海王星の組み合わせは同情が愛に変わる可能性を示すことがありますが、金星はドラゴンテイルと合で、社会的に認められない女性や女性との関係を示します。もしかしたらこの配置は秀次の娘との婚姻を表示しているのかもしれませんね。
そしてそれは、間接的に幸村の選択や晩年の運命に影響を及ぼした可能性があります。
兄・信之が一時、徳川に出仕し徳川四天王のひとり本多忠勝の娘を娶ったが故に、徳川を裏切れなかったように…。
幸村とは対称的な人生を送り、93歳まで生きたという兄・信之のホロスコープと比較してみたかったのですが、残念ながら1566年生まれという事しか分かりませんでした。
いずれにせよ真田幸村は、後世のその人気や名声に不釣り合いなほどの、不遇な人生を送っていたようです。
戦国武将のホロスコープは、今回でとりあえず終わりです。
今回、参考資料になりそうなコンテンツをネットで探していたところ、乙女ゲーに関して気になる問題を見つけましたので、次回はその点について書きたいと思っています。
関連記事
幸村をキャラに採用しているゲームと公式サイト
イケメン戦国♦️時をかける恋PV
https://www.youtube.com/watch?v=lqEtshYtLXU
同公式サイト
https://ikemen.cybird.ne.jp/title/sengoku/index.html
天下統一恋の乱 Love Ballad 公式サイト
http://koi-game.voltage.co.jp/fantasy/koiranlb/hana/
戦国無双 公式サイト
https://www.gamecity.ne.jp/sengoku/history.html
信長の野望 on-line
http://www.gamecity.ne.jp/nol/newcomer/index.htm
戦国BASARA 公式サイト
http://www.capcom.co.jp/game/basara/
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