戦国武将のホロスコープ⑸


〜甲信越に立ち並ぶ龍虎の巻 其の弐〜

武田信玄

さて、上杉謙信とくれば、次はやはり、甲斐の虎こと武田信玄でしょう。

 

武田信玄は、大永元年11月3日、

西暦でいうとユリウス暦の1521年12月1日

現在使用されているグレゴリオ暦では1521年12月11日の生まれ。

 

射手座の第2旬生まれになりますので、牡羊座の影響を受けることになります。自分の理想や目標に向かって、積極的に突き進み、行動範囲を広げていきたいタイプです

荒れた土地と領地拡大政策

 

筆者は随分昔に、当時親交のあった山梨出身の友人から、富士山や日本アルプスを擁している土地柄だからでしょうか…山梨は水晶や貴金属・温泉には恵まれているけれど、土地が痩せていて米が獲れない。

(数少ない耕作適地も川がしょっちゅう氾濫を起こすので、甲斐の国の石高は非常に少なかったと言われています。)

 

だから米の代わりに小麦を植えて云々と言う話を聞いた事があるのですが、山梨の郷土料理「ほうとう」はそうした食糧事情が背景にあって生まれた料理だったのですね。

 

この辺り、前回取り上げた謙信とは随分背景が違うのではないでしょうか。

 

越後…つまり新潟は海も川もあり、米も海産物も獲れる。佐渡の金鉱の様に貴金属も獲れる、豊かな土地柄です。

 

こうした環境の違いは当然の事ながら、武将としてはもとより国主としての姿勢の違いに繋がっていった事でしょう。

信玄&謙信と言えば、川中島の合戦が有名ですが、川中島というのはもともと三角州にあって、上杉傘下の大名が支配していた土地でしたが、越後一国の石高を超えるような肥沃な土地だったんだそうですね。

 

そこを手に入れようと、信玄が戦を仕掛けた事が、そもそもの始まりだったのだとか。

 

マクロビオティックの創始者・桜澤如一が、米国でマクロビオティックの普及に努めた久司道夫に対し、渡米のずっと前に、全ての戦争は突き詰めていけば「食の問題に辿りつく」と言ったのだそうですが、信玄の「領土拡大政策」もまた、こうした食糧事情が背景にあったわけです。

 

現代でも、お隣りの中国が人口爆発のせいで(食糧事情も含めて)資源の枯渇を危惧して、南シナ海や日本近海をウロチョロして何やらやっていると言われ、緊張状態が生まれてから久しいですが、日本は海産物も含め海洋資源の豊かな国ですから、日本=越後(謙信)&中国=甲斐(信玄)と、置き換えて考えてみてもいいかもしれませんね。

 

時代背景や国情の違いはあっても、信玄と謙信のふたりの関係を考えることは、日中両国の関係を考える上で、何かしらヒントになる事があるかも知れません。

武田信玄の出生図
武田信玄の出生図

人生の全ては政(まつりごと)の為に

 

信玄に関する資料のほとんどは公に関するもので、私的なものはほとんど残っていないのだそうです。

 

なので人物像が分からないとする意見もあるようなのですが、信玄のホロスコープを観ると太陽と月を始めとする惑星が射手座の後半から山羊座の前半に集中しており、凡ゆる惑星の影響力がここに集まる様な配置になっています。

 

特に山羊座は政や国家・国家元首に関わりの深い星座なので、人物像も何も、信玄は己の全てを甲斐の国の為に捧げていたようなものであり、また、そういう生き方をした人であると言えます。

 

月は冥王星や木星、火星と共にあり、金星とアスペクトしていますから女性関係は政略結婚であったことはもちろんのこと、恋愛も政治的な損得を考えて相手を選んでいたはず。

 

だからと言って計算尽くで愛情が無かったのか?と言えばそういうわけでもなく、信玄にとって「甲斐の国を守り豊かにする為に、一緒に戦える同志」の様な関係を築いていたと推測出来ます。

 

信玄の正室・側室は記録資料から確認できるのは正室の上杉の方、継室の三条の方、そして側室だった諏訪御料人禰津御寮人油川夫人の5人だけだそうで、他の戦国武将と比較しても平均的か、もしくは少ない方です。

 

信玄の火星は山羊座で、この配置は異性関係に関しては真面目な人だと言われています。

しかし信玄の場合、この火星は金星や海王星ともアスペクトしています。これは異性関係にはルーズである事を示しており、正反対の暗示がホロスコープ上で同居する形となっています。

 

ウィキペディアによると信玄の七女が母親不詳なこと、上記3人以外の側室とされる墓が残されていることから、ほかに側室がいた可能性も考えられている。…と、あります。

実は信玄は、身寄りの無い女児を引き取り、特定の神社に所属しない「歩き巫女」として諜報活動をさせていたと言う話があります。

 

歩き巫女は、通常は祈祷・託宣(占い)・勧進で生計を立てていたそうですが、中には口寄せ(恐山のイタコのような、霊媒師)や遊女、旅芸人をする者もあったと言います。

 

その中でも武田氏と関係するものは「信濃巫」と呼ばれるらしいのですが、その頭的な存在として望月千代女という女性がいました。

この女性は禰津村に歩き巫女のコミュニティを作った人なのだそうですが、それを読んで皆さん何か思いませんか?

 

そう、“禰津”御寮人(現長野県東御市祢津[禰津]の出身)の存在ですよね。

気になりますよね。

 

信玄のホロスコープ上で、金星は土星やキロンとアスペクトしているので、これが歩き巫女を表示していると考えられるのですが、もう一方では先述の通り海王星ともアスペクトしています。

実は海王星や、金星が位置するさそり座は占いや諜報活動とも関わりが深いので、これも歩き巫女の表示と考えられるわけです。

 

それが恋愛を暗示する火星とのアスペクトだけでなく、天頂の月にも関係しているので、望月千代女が禰津御寮人に仕えていたか、もしくは千代女本人が側室(ないしは愛妾)になっていた可能性もあると考えられます。

 

あるいは千代女本人で無かったとしても、信濃巫の中に、信玄が手をつけた女性が何人かいたのでは無いでしょうか。

 

これも先述の山梨出身の知人から、当時聞いた話なのですが、気学の祖である園田 真次郎(そのだ しんじろう、1876年 - 1961年 群馬県桐生市出身)は、武田一族なのだそうです。

 

武田一族の中でどの様な位置にある家系の出なのかは不明ですが、某公共放送の「ファミリーヒストリー」という番組を観ていると、芸能の世界とは全く縁の無い家に生まれたのに、祖先を辿って行ったら芸能に関係の深い人がいた…と言うのはよくある話で、こう言うのは、いわゆる「血」のなせるワザなのかもしれないですね。

 

そもそも戦国武将は忍びの集団を傘下に抱え(武田=三ツ者〈または素破〉、上杉=軒猿、織田=甲賀衆、徳川=伊賀衆など)、諜報活動に当たらせていたわけですが、特に飢饉が蔓延していたと言われる甲斐の国では、信玄は傘下の武将や戦になった時に兵として駆り出される農民の消耗や無駄死にを防ぐ為に情報収集に力を入れて、戦よりも情報戦による駆け引き…即ち「外交」に力を注いでいたとも言われているようです。

 

実際、有名な川中島の合戦では5回の戦のうち直接交戦したのは2回だけで、あとは殆ど、武田・上杉両軍のにらみ合いに終始したそうです。

 

歩き巫女が諜報活動をしていたか否かについては議論もあるようですが、少なくとも信玄の様に慎重で、戦略を練る為に多角的な情報を集めている将にとっては、自ら彼女達の託宣を利用するだけで無く、敵国で彼女達に商売をさせる事は、敵国の庶民の様子や世相を知る上で大変有効だったはず。

 

そもそも歩き巫女を頼ろうなんて輩は、困りごとや悩み事を抱えている人達でしょう。

 

敵国の庶民が、今、何に一番困っているのか?どう言う不満を持っているのか?

歩き巫女なら、すぐにわかるじゃないですか。

 

それが諜報活動と呼べる内容や活動だったかはともかくとしても、信玄にとっては敵国の情勢を判断する上での、重要な情報源のひとつだった事には違いないでしょう。

 

それ故に信玄のホロスコープでは、歩き巫女の存在を表示しているであろう星の配置が強調されているのかも知れませんね。

 

 

 

 

次回は、伊達政宗を予定しています。

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信玄をキャラに採用しているゲームと公式サイト

イケメン戦国♦️時をかける恋PV

https://www.youtube.com/watch?v=lqEtshYtLXU

同公式サイト

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天下統一恋の乱 Love Ballad 公式サイト 

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