〜奥州の覇者 独眼竜の巻〜
伊達政宗
さて今回は、男女を問わず人気のある伊達政宗を取り上げたいと思います。
伊達政宗は和暦の永禄10年8月3日、
西暦・ユリウス暦では1567年9月5日、
現在使用されているグレゴリオ暦では1567年9月15日生まれとなります。
仙台(宮城県)のイメージが強いですが、山形県の米沢城で辰の刻(午前8時ごろ)に産声をあげています。
徳川家康と並び、出生データが揃っている数少ない戦国武将のひとりですね。
おとめ座の第3旬の生まれとなりますから、おうし座の影響を受け、五感が鋭く、直観的に物事を判断・分析をするタイプです。
教科書通りのホロスコープ
まだ出生時間が不明だった時点でホロスコープを作成してみて、政宗の経歴と突き合わせてみたところ、おとめ座の太陽よりも蟹座の火星の印象の方が強く感じられたので、おそらくこの火星はホロスコープの重要な位置にあるのだろうと当初から予測していました。
その後、調べていくうちに出生時間が判明したため、改めてホロスコープを作成したところ、火星がカルミネート(天頂に近い位置にある)していることが分かりました。
天頂に近い位置にある惑星は、その人物の肩書きや職業を表すことがあります。火星はギリシャ・ローマ神話の「軍神マルス(アレス)」ですから、軍人やスポーツ選手、警官などに多い配置と言われています。
政宗のホロスコープは、これ以外も割と基本的な教科書通りの配置が多いので、西洋占星術の初心者でもリーディングしやすいホロスコープなのではないかと思います。
モテ男の定番タイプ
政宗のアセンダントは天秤座で、美男もしくはお洒落センスのある、イケメン男子を約束された位置にあります。
しかも火星は蟹座、金星はさそり座でソフトアスペクト。
蟹座もさそり座も水のサインにあたりますが、金星と火星が水のサインにあってアスペクトしていると、恋愛遍歴が多くなると言われています。
これだけでもホロスコープ的にはモテ要素は十分と言ったところですが、金星と火星には木星の関与があるので、個々の恋愛に関しては案外真面目で、恋愛=結婚の人だったかも知れません。
ウィキペディアによると
~正室・愛姫と、少なくとも7人の側室がおり、五郎八姫など十男四女を儲けた。ただし、側室・子女の数は記録に残っている者のみで、存在が確認されている一男一女以外の落胤および側室が居た可能性もある。~
とあります。
天下人となった三英傑ほどではありませんが、戦国武将としては側室の人数は多い方だと思います。
冥王星は金星・火星・木星ともオーブ広めながらも関与しており、時代的にも立場的にも婚姻に関しては、政略結婚の縛りからは逃れられなかったのだと思います。
ただ、正室の愛姫との縁談以外は、縁談が持ち込まれても政宗自身が相手の女性に「好意」が無ければ断ったのではないかとも思います。自分の気持ちに反する縁談は受け入れなかったでしょうね。
落胤(らくいん)とは婚外子のことなので、領主・国主という自らの立場や身分の問題もあって自由に結婚出来たわけでは無いでしょうが、女性関係に関しては、その都度真剣で真面目だったのでは。とは言え、結果的に恋多き男性だった可能性は高そうですね。
ところでホロスコープ上で、正室を表していると思われる月はセレスや水星と重なって、天頂の火星とはスクエア。冥王星とはインコンの関係です。
(なお水星には火星とのスクエアの他、海王星もトラインで関与。こちらは天然痘により右眼を失明したことが表示されているのでしょう。)
政宗13歳の時に、ひとつ年下の愛姫を正室に迎えていますが、この年齢では姫の方が初潮を迎えていたかどうかも怪しいですし、輿入れ後に愛姫の暗殺未遂事件に田村家からの内通者の関与があったと疑った政宗によって、彼女の乳母は殺害され、他にも多くの愛姫付きの侍女たちが死罪にされたため、一時夫婦仲が悪くなったと伝えられているそうです。
しかも愛姫が政宗の子を産むのは、輿入れ後から15年も経った1594年のことで、長じて色々乗り越えた後に、お互いに愛情を抱くようになり本当の意味で夫婦としても男女としても結ばれた…と、いう事になるのかも知れません。
夫婦仲が冷えていた15年弱(?)の期間、政宗が恋愛遍歴を重ね側室を迎えたりしていたとしても、それはやはり責められない状況だったのではないでしょうか。
妻と没交渉(?)で、10年以上も跡継ぎが得られないと言うのは、当時の時代背景や政宗の立場を考えれば、許されない状況でもあったでしょう。
また側室を迎えたことが契機となって、夫婦仲が好転した可能性もあるのではないでしょうか?
事実、側室の新造の方が1591年に長男を産んだ3年後に愛姫が最初の子で長子の五郎八姫(いろはひめ)を産んでいます。
側室に男児が産まれてしまったことで、愛姫の正室としての立場が危うくなった…なんて事が、案外関係修復のキッカケになっているのかも知れませんね。
(政宗の月が、第5ハウスにある冥王星とインコンである事に留意。)
以後15年ほどの間に、それまで子を作れなかった期間を取り戻さんとばかりに愛姫や側室、愛妾との間に嫡男の宗忠を含め総勢16人中、10人までをこの期間にもうけています。(早逝した竹松丸を入れれば11人)。
自分の気持ちに正直で誠実でありながら、伊達家当主として求められている役割りもキチンと果たさねばならない。
側室の数が多いのは、そうした事情の結果ゆえだったのかも知れませんね。
国主としては苦汁を飲む事が多かった人生
太陽は土星と重なり、海王星なども関与する形で、柔軟宮のグランドクロスを形成しています。
政宗は父を失う経緯からしてそうなのですが、身内や同盟相手から裏切られる事が多く、戦功を挙げても返って上から押さえ込まれるような羽目に陥ることもあり、結果として天下人になる夢を叶えられなかった人でもあります。
豊臣政権や開闢直後の江戸幕府など、中央から見れば政宗は「ヤンチャ」で「好戦的」な「困り者」だったかも知れませんが、政宗本人からすると「油断すると、いつ潰されるかわからない」から、「攻撃は最大の防御」とばかりに「護りを固めよう」という事になるわけです。
こういう世を拗ねて斜めに見たり、権威に反発してヤンチャするのに、デキる奴でしかもイケメン…って、ドラマや少女漫画に出てくるヒロインにとっての、王子様キャラの定番のひとつですよね。
戦国時代も、それは変わらなかったのかな。
結局、政宗ってモテ要素満載の人なんだなあ…。現代でも人気があるんですから、モテ男の面目躍如ってとこですかね。
天頂の火星は木星や金星の加護を受け、武将として人気を得ることに繋がっていますが、太陽が第11ハウスにあって土星に押さえ込まれるような形でグランドクロスを形成しているという事は、同盟相手の策略や御家騒動が原因で、人生上の野心を叶える為に必要な「援助や支持を得られなかった」ことを示しています。
太陽と土星は父親を表す星でもあるので、これは政宗の父・輝宗も同じだったのでしょう。
その華やかさ・派手さから「伊達男」の語源・由来ともなった政宗ですが、国主としては不本意に終わった人生だったでしょう。
政宗は晩年に、次のような漢詩を残しているそうです。
馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何
(書き下し文)
馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯天の赦す所
楽しまずんば是いかん
(又は“楽しまずして是を如何にせん”)
意味は、
若い頃は馬に乗って戦場を駆け抜けたが、
世は太平になり自分にも白髪が増えた。
天に与えられた余生が残ってはいるが、
これを楽しまずしてどうしようか。
(又は
楽しいとは思えないのはどうしたことか。)
だそうです。
最後の一行は二通りの解釈ができるようですが、どちらが正しいという事でなく、両方の意味があると考えるべきでしょう。
多趣味で時間を無駄に過ごすことが無かったという晩年の政宗ですが、何をしていてもどんなに予定を詰め込んでも、天下を取れなかったー豊臣政権や江戸幕府の基盤の安定の前に、天下をとる夢を諦めざるを得なかったーその自身の無念さが消えることは無かった…と、いう事なのではないでしょうか。
政宗と言えば、料理!
伊達政宗と言えば、美食家・料理の研究で有名ですね。元々は兵糧の研究が目的だったそうですが、太平の世になってからは美食家になっていったようです。
政宗が開発に関わった食材としては凍り豆腐と味噌が有名ですが、江戸幕府開闢直前の1601年に建てられた青葉城(仙台城)の敷地には900坪の御塩噌蔵が建てられ、ここで日本で初めて味噌の大量生産が始められたそうです。
また、江戸に人口が集中し始めて食料不足に陥ることを見越し、将来的に江戸に米を輸出して民を潤す計画をたて、土地を開墾し田畑を拡げる政策を実施しています。
宮城県は米のササニシキやひとめぼれが開発された米所としても有名ですが、その原点は政宗がとった食糧政策にあったと言っても良いでしょう。
『政宗公御名語集』には「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなすことである」という政宗の料理観が残されているとのこと。
この政宗の言葉は和・洋・中を問わず後世の多くの料理人に感銘を与え、伊達家御用蔵が母体となっている宮城調理製菓専門学校のほか、服部栄養専門学校などでも校訓に引用されているそうです。
またこうした信条のもと自ら厨房にたち、将軍を屋敷に招いて饗応することもあったという政宗ですが、第ニ代将軍徳川秀忠を仙台藩江戸屋敷に招待して饗応したとき、政宗自らが秀忠の前に膳を運んだのだそうですが、その際に秀忠側近の内藤正重から「伊達殿に鬼見(毒見)をしてほしい」と言われて、
「10年前の1618年(元和4年)なら、(徳川幕府の基盤がまだ磐石ではなかったため)謀反を起こす気もあったが、その時でさえ、この政宗は毒殺などというせせこましいことはせず、一槍交えて戦おうとしただろう」と、正重を厳しく叱責したという逸話が残っているとか。この時政宗は、齢(よわい)還暦を過ぎた辺り。
まだ人生50年と言われた時代です。50歳くらいまでは、あわよくば徳川に変わり天下を取ってやろう…という気持ちは捨てていなかった、という事なのでしょう。
けれども政宗の社会的功績はやはり、奥州の覇者と言うよりは、兵糧の研究から生まれた保存食の開発や、米どころ奥州の開発でしょう。
これらは奥州どころか、日本の津々浦々に500年経った今日でもなお私達の食生活に影響を与え、生活を支え続けています。
政宗の火星がある蟹座は、人体では乳房と胃を表し、人物では母親を表す星座です。
また乙女座の太陽は第3旬にあり、牡牛座の影響を受けています。牡牛座は五感を司る星座なので、どちらも「食」とは「深い関わり」がある星座・星の位置なのです。
そういう意味では最初の方にも書きましたが、政宗はホロスコープの基本的な意味に沿った生涯を送ったと言って良いでしょう。
次回は、真田幸村を予定しています。
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政宗をキャラに採用しているゲームと公式サイト
イケメン戦国♦️時をかける恋PV
https://www.youtube.com/watch?v=lqEtshYtLXU
同公式サイト
https://ikemen.cybird.ne.jp/title/sengoku/index.html
天下統一恋の乱 Love Ballad 公式サイト
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