戦国武将のホロスコープ⑶


〜戦国武将三英傑の巻 其の参〜

徳川家康

徳川家康の肖像画
徳川家康の肖像画

江戸幕府開祖の徳川家康は、天文11年12月26日の寅の刻(午前4時ごろ)に、現在の愛知県岡崎市にある岡崎城で生まれました。


この時代に生まれた日本人としては珍しく、出生データが揃っています。

1刻=2時間ですので、通常であればコレクション(細かい時間修正)が必要なところですが、ホロスコープを観て史実と付き合わせたところ、出生図のみを観る分には問題無さそうなので、このまま読み解いていく事にします。


ちなみに和暦による家康の誕生日を、西暦のユリウス暦になおすと

1543年1月31日生まれ。

現在使用されているグレゴリオ暦に直すと、

1543年2月10日の生まれとなります。


太陽は水瓶座の19度で、ギリギリ水瓶座の第2旬の生まれ。

水瓶座に双子座の性質が加わりますので、好奇心旺盛で興味を持ったことに対してはなんでものめり込んで、ある程度のレベルまでは極めようとするタイプ。


実際、新しいモノ好きで非常に多趣味だったようですね。


また家康が健康オタクで、自分で薬の調合までしていたのはつとに有名ですね。

徳川家康の出生図
徳川家康の出生図

女性の影響力が強かった人生

 

家康のホロスコープのアセンダント付近には月があります。これは、基本的には家康は受け身で、母親や妻の影響を強く受けた人生だったことを示しています。

 

そしてその月は第3ハウスにある火星から損なわれています。火星はIC・第4ハウスの境界線がある牡羊座の支配星でもあります。第4ハウスは家庭や母親、幼児期と晩年に関することを占う位置。

 

家康は3歳の頃、父母の離縁により母と生き別れ、その後6歳の頃に今川氏に人質に出される筈だったものが、叔父の陰謀で織田家に人質に出されます。

その後2年後に家臣の謀反により実父が無くなると、人質の交換という形で今川氏に引き取られ育てられています。

 

月と火星のアスペクトは、この事を示しているのでしょう。そして月がアセンダントやICに関わりを持っているということは、幼い頃のこうした「原体験」が、その後の家康の人生に大きな影響を及ぼしたことを示しているのです。

 

またIC付近には海王星がありますが、この海王星は幼少期に家康が他家に預けられたことを示すほかに、曖昧さや二重性、裏切り等を示唆する星です。

 

家康の父母が離縁した原因は、父が今川氏に従属していたのに対し、母方の伯父が織田方に乗り換えた為に、今川方の顔色を伺っていた父が主君との関係を考え、母と別れることを選んだ為でした。

 

三つ子の魂百までも…と言いますが、家康は自分の(心理的に)安定した居場所を奪われるような形で、幼少期を過ごしたことになります。

 

これは一般的には、精神的に不安定な人を生み出す要因になります。ザックリ言うと、長じてからは傷つくことを恐れて人を遠ざけて閉じ篭ってしまう場合と、良くない友人との交流や異性遍歴を重ねてしまうケースに分かれるようですが。

 

家康は今川方では割と大切にされていたのではないか?と言う説もありますが、何かあった時に幼い子が一番先に駆け込みたい場所は、多くの場合、母親の懐であるはず。

 

けれども家康はその母親を奪われただけでなく、幼少期は人質として織田から今川へとたらい回しにされ、心理的に居場所の定まらない不安定な環境で育ったわけですから、どんなに恵まれた環境で大切に育てられたとしても、精神的には拠り所のない不幸な幼少期を過ごしたという事になるのです。

 

また、こうしたお家騒動的な二大勢力の対立構造は(豊臣政権時代や江戸幕府開闢以降も含め)、家康にとって常に頭を悩ます問題であった事も示しているのです。

 

不幸な道を辿らざるを得なかった正室との関係

 

もうひとつ女性を表す星として金星がありますが、この金星はアセンダントにある山羊座の支配星・土星を軸にしてTスクエアという強い座相を形成しています。(小惑星も含めれば、不完全ながらグランド・クロスを形成している。)

 

このTスクエアは第5ハウス(子供・出産)、第8ハウス(相続)、第11ハウス(同盟関係)に関係しています。太陽と金星以外はマレフィック(凶星)ですので、これは築山殿(&嫡男 信康 )のことと、朝日姫の2人の正室のことを表しているのでしょう。

 

そして、家康の水瓶座の太陽、アセンダントカスプに来ている山羊座の支配星の土星(天王星が発見される前の水瓶座の支配星でもある。)は、第11ハウス(水瓶座の定位置)にあり、第8ハウスには水瓶座の支配星の天王星…と、二重・三重に水瓶座の意味合いが強化されています。

 

水瓶座生まれの家康にとって、それだけ重要な内容を示唆しているアスペクトだとも言えます。

 

今川義元が桶狭間の戦いで討ち取られたのち、今川氏と断交、織田氏に乗り換え同盟を結んだたことで、家康は今川氏の出で正室である築山殿と嫡男の信康の2人との間には、徐々に距離ができ始めていたのではないでしょうか。

 

と言うのも、通説では築山殿と武田氏との密通を疑った信長から信康の切腹を言い渡され、家康は熟慮の末、信長との同盟関係維持を優先し、築山殿を殺害し、信康を切腹させた…と言われてきましたが、それを裏付けるような資料がなく、昨今では家康・信康親子の対立による、信康の謀反説が出ているそうです。

 

前述のTスクエアには天王星と冥王星が絡んでいます。この組み合わせは革命のアスペクトなので、ホロスコープは嫡男の信康による謀反が原因と示唆していることになります。

 

そして家康のホロスコープの中で、最も重い星の組み合わせがこのTスクエアであるという事は、理由はどうあれ、息子に切腹させ築山殿の命を自分の命令で奪ったことが、その後の家康の人生において心に重いシコリとして残り、自らの十字架として背負い続けることになったことを表しています。

 

これだけ厳しい環境の中で育まれた絆ですから、幼くして母と生き別れた家康にとって(年上だったと言われる)築山殿は、幼い頃には得られなかった母性的な愛情を注いでくれる相手として、心理的にとても大きな存在…心から愛し、甘えられる女性…だったのではないでしょうか?

もしかしたら家康の心理的な依存度が高過ぎて、ある意味この2人には、共依存的傾向もあったかも知れません。

 

けれども、このTスクエアは土星外惑星以外は太陽と金星の組み合わせだけで、これは一般的には自己愛や愛人関係を示すもの。正室との関係が表示されているにも関わらず、婚姻や社会的認知を表す木星が関与していないのです。

 

ちなみに妻や母を表す月は、第8ハウスにある天王星を含む形で、木星を軸にしたカイト。

既出の月と火星の組み合わせから見ても、嫡男の謀反により愛する妻を失った…と読めます。

 

築山殿に関して言えば、殺害される以前に既に離縁されていたのではないか?という説があるそうですが、ホロスコープ上から観てもその可能性は高いのではないでしょうか。

 

そして形は多少違いますが、原体験である父母の離縁を、自らなぞるような形にもなっていますね。

 

また2番目の正室(継室)である朝日姫は関白秀吉の妹ですが、わざわざ前夫と離縁させられた上で、家康の元に継室(後妻)として送られています。輿入れしたのちは余り体調も良くなく数年で亡くなってしまっています。

 

継室と言うのは表向きで、実質は人質同然に自分の元に嫁いできた朝日姫に対し、家康は自身の幼い頃と重ね合わせ同情や憐れみの感情を抱いていたかもしれませんね。

 

歳を取ってからの婚姻だった朝日姫は勿論ですが、結局家康は正室から世継を得ることは出来ませんでした。

また朝日姫以降、家康は側室は何人も抱えましたが、正室(継室)を迎えることはありませんでした。

 

偶然の産物だった?三男 秀忠の二代目将軍就任

 

妻を表す月は、天王星や天頂の木星とイージーアスペクト。通常、月と天王星のアスペクトはアバンチュールを表す…つまり浮気や異性の友人関係を表す組み合わせなのです。

 

二代将軍徳川秀忠は、側室の子で三男坊だったそうです。

 

次男もやはり側室の子でしたが、母親の身分が低く(築山殿に仕えていた奥女中で、いわば家康のお手付き=浮気だった)、次男は豊臣家に養子(実質は人質)に出された為に世継からは外されたと考えられているようです。

 

つまり第8ハウスの天王星は、正室との関係ではその嫡男がクーデターを起こす事に使われたけれど、側室の場合には、天王星自体が浮気ないし側室の存在を示唆しているが故に、跡継ぎ(天頂の木星)に恵まれた…とも読めます。

 

秀忠が正式に後継者と定められたのは、関ヶ原の合戦以降だと言いますから、豊臣家との力関係や駆け引きの問題もあり、世継は早々には決められない問題だったのでしょう。

 

なお、秀忠の生母である西郷の局は、秀忠が10歳の頃に亡くなっています。

一説には築山殿に仕えていた侍女に毒殺されたとも言われているようで、そういう意味では秀忠も命を狙われていたことでしょう。

 

側室が多いだけに子も秀忠以外に大勢いたわけですから、暗殺もされずに長じた秀忠に、将軍の地位を譲れたのはラッキーだったと言っても良いのかも知れません。

 

また西郷の局に関しては、月・木星・天王星の組み合わせだけでなく、月と火星の組み合わせの影響も受けていた…という事になるのでしょうか。

 

ただし、西郷の局は家康の側室になる前に2人の男性に嫁ぎ先立たれています。

 

家康の未亡人狙い(?)は有名な話ですが、こういったエピソードから見ても西郷の局以降の側室達とは浮気(出来心の恋愛感情で結ばれた関係)では無く、子作り要員として同志的な関係にあったのでしょう。

 

家康が本当の意味で恋愛感情を抱いて結ばれていたのは、築山殿だけ…だったのかもしれないですね。

 

築山殿の嫉妬に纏わるエピソードもいくつか伝えられているようですが、それは裏を返せばきっかけはなんであれ、築山殿とは恋愛感情で結ばれた関係であった事の証左なのかもしれません。

 

金星のアスペクトの都合上、相手の女性に思い入れが深くなると、なんらかの事情でその相手を奪われてしまう。失くしてしまう。

 

怖くなって異性に深入り出来なくなるのは、ひとりの人間としては当然の心理でしょう。

 

だから出来心で手を付けた相手や、同志的な関係性に持っていけそうな未亡人を側室に迎えた…という側面もありそうですね。

 

狸親父が抱え込んでいた人生の不条理

 
天下人となり権力のトップとなっても、思うに任せないことを多々抱えていた家康。
天頂に成功を約束する木星を抱きながら、人生に対する寂寥感や無常感が漂うホロスコープと言うのは、初めて観た気がします。

複雑な御家事情もあり、慎重になっていたせいか口数も少なかったと言う家康。
狸親父にならなきゃ、人生やってられなかった…という事でしょう。

ところで蛇足ですが、家康亡き後、3代将軍家光辺りから、将軍の正室(御台所)は、公家や皇室から迎えるのが通例となっていきますが、公家方の反乱や謀反を恐れたのか、正室が将軍から寵愛を受けて子供を産むことがないように、将軍を正室から遠ざけるよう仕向けていたと言う話も聞きます。

正室と正室の子に恵まれず、悲劇を体験した家康。

企業の場合、創業者のホロスコープが死後も企業の運勢に影響を与えることがあるようですが、江戸幕府も似たようなものだったと言えそうですね。

また、家康がその心の中に抱え込んでいた不条理を映し出すかのように、江戸時代に花開いた文化は「歌舞伎」や「遊郭(花魁)」、それらのスターを描いた浮世絵など、どこか隠微で、太陽の下にある明るい健全さとは対極の、日陰や闇に咲く仇花の世界を連想させるような文化です。
そういった側面から見ると、天下取りレースでアンカーとして登場し、最後に日本を統一して体制を築いたのが、果たして家康で良かったのか?…ちょっと考えてしまいますね。

勿論、家康自体が悪いわけでは無いのですが。

次回は上杉謙信を予定しています。

関連記事

家康をキャラに採用しているゲームと公式サイト

イケメン戦国♦️時をかける恋PV

https://www.youtube.com/watch?v=lqEtshYtLXU

同公式サイト

https://ikemen.cybird.ne.jp/title/sengoku/index.html

 

天下統一恋の乱 Love Ballad 公式サイト 

http://koi-game.voltage.co.jp/fantasy/koiranlb/hana/

 

戦国無双 公式サイト

https://www.gamecity.ne.jp/sengoku/history.html

 

信長の野望 on-line

http://www.gamecity.ne.jp/nol/newcomer/index.htm

 

戦国BASARA 公式サイト

http://www.capcom.co.jp/game/basara/